2020.11.21 小田原城

 今日は3連休初日ということもあり、横浜から小田原まで行き帰り渋滞に巻き込まれました。朝9時に出て、小田原についたのは12時。肝心の小田原城小田原駅の近くで思っていたほど大きくもなく広くもなかった。松江城、熊本城、姫路城と比べるとだいぶ劣る。まあ、何を持って劣るというのか様々だが…。ここではオリジナルに近い良いという意味ぐらいで。でも、最上階まで登って景色をみた。南は相模湾で眺めが良い。この城から北条氏~大久保氏までどんな思いで過ごしたのだろうか。などと想像してみる。

 ラジオを聞いていたら石丸謙二郎の”山カフェ”で、サバイバル登山家の体験談を話していた。この人は最小携行で山で山菜取りや狩猟で食料調達するとのこと。命を賄うのは命しかないということを話していた。狩人はその罪の意識を感じながら。そして、いつかは自分の番が来るのだと。その時罪の意識から開放されるのだと。なるほどと思った。また、そういう風に考えるのが人間なのだと。

 人間の意識・心とは記憶の産物でしかないのでは。皆、生まれる前の記憶はない。せいぜい3歳ごろからではないのだろうか。死とはその前の状態に戻ることなのでは。記憶が始まり記憶が途切れて終わる。自分の記憶の前後や連続性。それに関することによって紡がれていった人生。それ以上でもそれ以下でもない。